Navel論とSHUFFLE!論
Navelとは今をときめくメーカーの一つ。
『つり乙』シリーズで一気に浮上してきたイメージ。
『世界征服彼女』なんてどこに行ったのやら……。
Navelと言えば前身はBasilのスタッフであり、『それ散る』から流れをとらえるのが適切。つまり、key(麻枝准)史に『One』を入れるか入れないか。
Navelを浮かべて連想するのは、白玉黒玉、パンツ、真人の3名物。
しかし青春時代をNavelで謳歌していた私にとって一番影響を与えたのは、電撃G'sマガジンだ。
『マリッジロワイヤル』(略記マリロワ)。簡単に説明すると、各地から嫁候補が集い主人公をめぐって(物理的衝突ではなく)バトルが始まる。
今では破格の値段で入手することができるので、是非信者にはプレイしていただきたい。それとコミック版(奈月 ここ先生)、ラノベ版(日富美 信吾先生)を併せて通読していただくと幸いだ(主人公が最後までヘタレか成長したかは読者の読み次第である)。
王道を歩んできたNavelだが、王道をどう制覇するかとはこのメーカーの命題である。本作は処女作『SHUFFLE!』以来の飛んだキャラクターがいないが、(それはまたそれで問題かもしれないが)メイドの掛け合い、主人公のヘタレ度はなかなか噛み合っている。ボリュームはあるので暇つぶしにはなるだろう。
『マリロワ』自体は雑誌企画モノなため、(ラブライブ!やシスプリと同じ電撃G'sの企画モノ)メーカー色が目立ちにくいが作品を共有するという意味でメーカーと読者(あるいは受け取り手)が一蓮托生になりやすい。
王道の意味では『SHUFFLE!』が一番しっくりくる。
たとえば、時雨亜沙先輩は本当は弱くて母親の庇護の中でしか生きていけなかったが主人公と向き合うことで。
あるいは、自分の中にはもう一人の自分がいて。
よくある設定だけに既視感を抱かざるを得ないのだが、超法規的措置を為すことによって今までの倫理観を踏みにじる。
とくに幼馴染はルートのときでは、好きになってはいけないんです、とは見事なもの。昔から馴染みがあるという単純な理由だけで好きに結びつかない工夫。またほかのルートでは諦めきれない一面を見せる。
以降は某所で言われるような『マブラヴ』と『世界征服彼女』における幼馴染論に収斂するため、ここでは書かれない。
個人的にはこの『SHUFFLE!』を起点としてギャルゲそのものの多元化が解釈可能になったのではないかと提起したい。
そもそもエロゲ思想の起源は少なくとも『KANON』問題について考えるから生じたが、これはどういうことかを哲学するのみであった。
キャラゲでありながら倫理観を踏みにじり、王道でありながら王道とは何かを真正面から切り崩していく、そのようなスタイルであった。
少なくとも多元化については今の私では立証不可能な命題なので、批判は甘んじて受け入れる。