むらにーの論文集

むらにーの論文集です。

エロゲ思想1-1 「主人公とは誰か」

 さて、この試みはエロゲそのものを単一にあるいは単純にゲームそのもととして理解あるいは完結されえない試みとして導入する議論だ。

史と謳っている以上は歴史的連続性の中でこそ議論されるべきだが、私の力量では無理な領域だ。

そこでここでは歴史的連続性の一部を取り上げ、それを歴史的に関連づけながら議論していく方向にする。

 願わくば、歴史的連続の体型としての後世に続く誰かがまとめてくれればよい。


 さて議論に移ろう。

【概略】

 ギャルゲ多元化の時代を迎え(いずれ議論されるべき内容なのでここでは割愛するが)、今日においては様々なタイプのゲームが散乱する時代となった。

 かつて抜き目的としたソレと対抗馬たるものとして頭角してきた泣きのソレの時代があった。

時を経て現代におけるカテゴライズは、ハードボイルドやストーリーゲー、シナリオゲーと様々に分岐する。

 そのようなシナリオ的展開のみを基軸としたゲームの分類論は果たしてどこまで有効たるか、を示すのが一つ。もう一つの狙いとして、その決定的な問題提起をもたらすことが私の狙いだ。

【序論】

 私がここで紹介する分類論と問題をここで手短に概略しておこう。

 この問題の核となるのは『Lovely×Cation2』(以下lc2と略記する)(やそれに続く一連のシリーズ)とここでは仮定しておく。

 単なるイチャラブストーリーとして今日の評価がほとんどであり、またその評価の高さは恐るべきものがある。

 しかしながら例の如くここでの試みが何ら先人の評価を覆すものでもなく、その評価とはまた別にこのゲームの評価を別側面から与えることが目的だ、と留意しておきたい。

 【本論】

 普段、諸君らがギャルゲ(あるいは美少女アドベンチャーシミュレーションゲームでもいい)を連想したときにどのようなものを思い浮かべるだろうか。

隣には幼馴染がいて、ある日突然いい許嫁が現れて、などといった王道展開を想像するだろうか。

 そう、例えば『Shuffle!』(以下shuffleと略記する)のようなゲームかもしれない。

ここでは単純に比較を用いて、作品を比べられたい。そこには単純にシミュレーションとアドベンチャー性といったカテゴライズを越えるものがあるとする。

 ここでは議論の確認として、ゲームのスタート時点を確認してもらいたい。『shuffle!』のようなゲームにおいて、日常の連続として存在する今この瞬間に非日常的事態(転校)が発生する。例えば、『夜明けより瑠璃色な』(けよりなと略記)もこれに該当する。

 これに対応して『lc2』では(転校してはいないが)全く新たな環境に置かれたところからスタートする。

 この分類論を本文では、前者を非日常起点型とし、後者を新規一転型と仮定する。

 ただし、『KANON』や『FORTUNE ARTERIAL』のように転校先に幼馴染(あるいは知人)がいるケースはここでは例外として放置させていただく(いずれ分類論の議論が挙がったときに取っておく)。

 私が対比させようと試みるものは、つまり、完全な(『lc2』は完全とは言わないにしても)新規環境に置かれる主人公と、連続性の中で存在する主人公だ。

 これは明白にその後の主人公に対して多くの影響を与えることを説明することが可能だ。

 非日常起点型においては常に主人公と誰かの過去が問題となり、今においてもある種の拘束性を持つ(一例として『けよりな』鷹見沢ルートを参照)。

 反対に新規一転型の場合は常に友情関係の延長上として、この人が好きなのかもしれないという感情を確実なものにし恋愛を成就させる、といったプロセスが明白に描かれる。

この丁寧なプロセスの作り込みは、cationシリーズを経験してみればわかることだ。あるいは『PRIMAL×HEARTS』(phと略記)を連想するのがよい。

 注意深く観察すると、非日常起点型の場合ではゲーム開始時点ですでにヒロインが明確な恋心を抱いていることが(後でも)わかる。

 さて、あまりにも長々と書き続けると議論がなかなか収束しづらいので今回はここまでにする。

【結論】

 人というのは環境の中で生かされている(アリストテレスはポリス的動物と述べた)。その中で我々はある日突然、新たな環境に置かれることは難しい。

もちろんやり直しをしたいとする考えを汲み取ったものとする作品だ、とする見解にも一理はある。

 またそもそも恋愛というのは何であるか。ある人の一生の一部分を取り上げて、ギャルゲーと称するのは正しかったか。

『cation』シリーズの功罪は少なからず、我々の恋愛意識がより確実になるその過程でさえも重要であることを思い起こさせたことが一つ。他の作品と比べ、どこの時点で好きになったかという過去に拘束されない作品であった。

もう一つに我々の生きる世界においては新規一転ではありえない。が、ゲームだからこそできる設定だ。新規一転型と、今まで通り存在していたタイプ(本文では非日常起点型と仮定していたそれ)の明確な分類が可能になったのではないだろうか。