解釈:『Hyper→Highspeed→Genius』
この作品は私が初めて手にしたergである。
【概略】
この作品は、世界長をきめるため三つの学園が統合され、その学園内で能力者たちが争う物語である。現世では能力(ギフト)を持つ守護者(ジーニアス)が一般人よりも良い待遇である。
【序論】
『HHG』に関しての感想や評論はすでにいくつかのサイトで挙げられているように、「選択肢を選んでいることをメタ的に表現した」や「ディストピアとは何であるか」といった見解に私も一致する。
この作品を読み解くにあたって、私が感じられたことは政治学概論としての教科書を含有するかもしれない、ということだ。(「かもしれない」という表現は、ういんどみるに対する評価を表現したものである。ここで議論はしないが、何人かのどみらー――:ういんどみる信者――における正統な評価として『はぴねす!』と『HHG』さえ押さえておけばよい、が存在することに由来する。)
つまり、前述の表現は意図して組み込まれていない考慮を示唆するものだ。本文ではメーカーの意図を超えて結果として表現されたもの(事実)を解釈することにする。
【本論】
まずこの作品を解釈するにあたって、アロウを用いられたい。
アロウの一般可能性定理において、彼が設定した民主主義の条件の中に「公理四 非独裁制」が存在する。端的に略記するならば、一人の選好序列が社会的順序に影響を与えてはならないことを意味する。
さてここで問われるのは、
- 主人公があるヒロインを選択した際に世界長へと導く行為は果たして民主的たりえるのか。
- あるいは選択肢によって選ばれる世界長が異なることについて。
(注:少なくともは私は『HHG』を非民主的とみなすことはしない)
ここで確認されるべきなのは、世界長の選ばれ方だ。
各ヒロインごとに選挙システムが厳密に異なることは注目に値する。
個人の選好(=選択肢)と選ばれ方(=選挙方法)によって結末が異なることを示唆するものではなかろうか。
【結論】
本作品をきめ方に絞って、解釈したわけであるが、非常に「きめる」ということは難しいことである。
うまくまとめることができなかったので、そのうち再説するかもしれない。
*1:以下、本文では『HHG』と略記する。
これがぶろぐというやつですかなwww
本気でゲームを解釈しようと思った。