らにぃの論文集

らにぃの論文集です。

近況的な報告

ゼミ合宿が終わり、しばらくはその余韻に更けております。

スピノザ『神学・政治論(上)』

植木千可子『平和のための戦争論』

國分功一郎『近代政治哲学』

を昨日までに読了することに至りました。これもひとえに師のお陰でありましょう。

書評や中身の議論を私はするのが好きではありません。それと同様にエロゲのレビューもあまり好ましくはないです。

あらゆる人間の解釈がそこに詰まっている以上、それを批判することにあまり意味を持ちません。

彼または彼女がそこに一体何を描いているかを再解釈するべきの立場に私はいます。


同じロックやルソーを紹介していても、その読み方は人によって異なります。それは人の考え方に基づいて読み方に差異が出てくるからでしょう。その差異を否定して、自分にとって都合のいい解釈だけを取るのは好都合すぎます。

全ての解釈を比較し、自身で再検討する、そのプロセスに価値があると思います。なによりも、そのプロセスの能力が我々には足りていないのではないでしょうか。


そろそろ『よあけな』の続きを書きたいと思います。

Navel論とSHUFFLE!論

 Navelとは今をときめくメーカーの一つ。

『つり乙』シリーズで一気に浮上してきたイメージ。

『世界征服彼女』なんてどこに行ったのやら……。

 Navelと言えば前身はBasilのスタッフであり、『それ散る』から流れをとらえるのが適切。つまり、key(麻枝准)史に『One』を入れるか入れないか。

 Navelを浮かべて連想するのは、白玉黒玉、パンツ、真人の3名物。

しかし青春時代をNavelで謳歌していた私にとって一番影響を与えたのは、電撃G'sマガジンだ。

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1-2.民主主義とは何か。その種類についての考察

 さて、前回は民主主義の歴史について提示したつもりだ。

(前回の記事はこちら

代表制と民主制が折り合いをつけて現在のデモクラシーへつながっていく。

 今回は普段我々が民主的あるいは民主主義の例として浮かべるものごとを適宜考察していき、そこからいくつかの理論あるいは主張に収斂する。

 

パターン1:民主的な決定か?議論

 この議論の多くは多くの国民が満足に至っていないことを盾として自らの主張の正当性を保とうとする。

この議論の核となっているものは言わずもがなルソーの一般意思だ。

前回の歴史を把握している人々からすれば、悲劇のギリシア政治へと繋がった直接的の要因だと推察することが容易だ。

 ではなぜ現代(あるいは近代以降)で多数派によって政治が決められる(=民主政/制)が再び脚光を浴びることになったか。

 これは最大多数の最大幸福、ベンサム功利主義によって当時のブルジョアの意見を議会に持ち込むことに由来する。

 このパターンは民主的な決定を一般意思の如く、全員が(賛否は別として)一致しなければならないと自負することにある(あるいは全て者の関与が必要だ)。

 

パターン2:民主的な国家論

 ソ連や東側の国々と対置して自由主義陣営たる西側が我々こそが民主的な国々だ、という宣伝を行ったことがすでに歴史に埋もれつつある。

社会主義国側と自由主義陣営との決定的な違いは、反体制側の言論や表現、活動の自由が認められていることにある。

 これを以て、現代では民主的な国の基礎とみなされることがある。

無論、歴史的に見ればリベラリズム系譜にあるため正確には民主的でない。

 この自由は、時を同じくブルジョア宗教戦争に巻き込まれないために信仰の自由、王族に財産を没収されないために財産権、貴族に自由裁量と競争を認めるために表現・言論の自由が保障されていたのだ。

 

 普段、我々が「民主的」と述べるとき一体どちらを想像するのだろうか。このどちらかが欠けても良いのであるか?

 そこで我々の界隈で有名な政治学者ロバート・ダールを。

パターン3:1と2を兼ね備えるもの

我々が理想として浮かべるものを「デモクラシー」、

制度としてパターン1と2を併存するものを「ポリアーキー」として提唱する。

 

 まとめ

パターン1の民主的は、ギリシア由来のデモクラティア。

いわゆる全ての者の関与が必要とされる主張。

パターン2の民主的は、自由主義に位置する系譜

貴族やブルジョアに自由裁量が認められるもの。

パターン3の民主的は、自由民主主義思想。

いわゆるソ連と対置して、自由で民主主義たる国々という旗印。

 

 単純に民主主義や民主的と口にするには簡単だが、果たして本当に何を意味しているのかをもう一度検討するべきではないか。

また他者が発言する民主的の意味と自らのそれとの差異に着目して議論し直す必要があるのではないだろうか。

再説:『夜明け前より瑠璃色な』(前半)

 ※ネタバレ全開

画像の権利はAugust並びに、㈱葉月に帰属します。

 

 ゲームの正当な評価は具体的数値だけにあるべきか。

この命題はいかなるときでも付きまとうものだ。必ず数値化することによって序列が確立される。

その(特定の作品たる)テキストを神聖化(=聖書化)する信者にとってはその序列すら耳の痛い話だ。とりわけ、その評価をめぐり正当ではないと非難が散見される。

 しかし私の試みは、ここにはない。私の試みは評価ではなく、そのテキストがどのように実際に表象されているかを解釈を為すことにある。

以下、本題へ。

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現状報告

素晴らしき日々』6章終了、あと2〜3エンド残すのみ?

『幻のディストピア』朱莉ルート終了

パルフェ』手つかず

恋色マリアージュ』30分だけ。

『ゆきこいめると』嘩音終了、たるひ途中。

LOVELY×CATION2』吉野谷星音ルートのみ。体感であと半分以下。

他にも積んでありますが放置。

個人的に楽しみなのは『恋色マリアージュ』です。吉川さんというライターは『PLIMAL×HEARTS』で初めて知りましたが、共通ルートや主人公とヒロインの親密度がどのように高まっていくかを丁寧に書いていらっしゃいます。

論文は、民主主義(概論)1-2ポリアーキー議論でもしようかな、と。

あるいは再説『夜明け前より瑠璃色な』か、『Shuffle!』です。どちらもぼくは好きなゲームです。


ではでは✋

コンチェルトノートおわり

 コンチェルトノート終わりました。

感想やレビューは多くのサイトに載っていますので、そちらを参照していただくのが良いかと存じます。


 最後の方、主人公が吊るし上げにされているときに、和奏たちが入ってくるシーンですが既視感がありました。

これは『閃の軌跡Ⅱ』などで見られた手法ですね。主人公がピンチになると大人たちが助けに来るという、あの手法。


 総評としては、次回作の『黄昏のシンセミア』の方が綺麗にまとまっています。今作の方はテーマ性を感じられなかったような気もします。